私たちの教会
| 1941年4月1日 | 商家の四男として東京都足立区に生まれる。キリスト教とは無縁の一家だった。 |
|---|---|
| 1956年4月 (15歳) |
聖学院高等学校に入学、初めて聖書に触れるも、2学年の秋に不登校となり、ほどなく中退。 |
| 1957年7月 (16歳) |
この年から通い始めた善隣キリスト教会(金城周奉牧師)で信仰告白、自ら進んで洗礼を受ける。 |
| 1960年11月 (19歳) |
家業の拡充にともない大阪に単身赴任。粉浜教会に移り信仰生活を始める。 |
| 1963年4月 (22歳) |
大阪基督教短期大学(現・大阪キリスト教短期大学)の神学科に入学、1967年卒業。 |
| 1964年5月 (23歳) |
粉浜教会の伝道師だった川崎暁と結婚。長居キリスト教伝道所を開設、夫婦で伝道活動を始める。 |
| 1966年10月 (25歳) |
長居伝道所として初めての洗礼式で9人が受洗。授洗牧師は岸辺勘次郎神戸・西灘教会牧師。 |
| 1973年9月 (32歳) |
カリフォルニア州にあるアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の神学校に留学。トリニティ・クリスチャン・センターで霊の賜物の取り扱いについて、実践的な学びと訓練を受ける。この留学中に聖歌隊の一員として米国各地を巡る。 |
| 1974年12月 (31歳) |
トリニティ・クリスチャン・センターのドナルド・スタウト牧師より按手礼を受け日本に帰国。善隣キリスト教会の副牧師として奉仕を再会。 |
| 1979年4月 (38歳) |
閉鎖中だっためぐみ福音キリスト教会の復興を決意、善隣教会を離れ信徒ゼロからの開拓伝道を始める。中国吉林省で活動する朝鮮民族の地下教会がハングル聖書を求めているのを知り、韓国人宣教師らと宣教団体を組織。年2回中国に渡り聖書を運び始める。 |
| 1981年4月 (40歳) |
この年より14年間、関東祈祷院で事務局長として聖会の御用と維持管理の奉仕を務める。 |
| 1983年10月 (42歳) |
兄の献金を元手にインドのハイデラバードで土地を購入し地元バプテスト教会に捧げる。後年この教会から50の新たな教会が生まれたと報告を受け、自身のミニストリーの祝福を確信する。 |
| 1986年11月 (45歳) |
14度目の中国滞在中に上海の地方検察局からスパイの嫌疑をかけられ、以後の中国宣教を断念。7年にわたる宣教費の総計はおよそ1200万韓国ウォン。 |
| 1998年2月 (56歳) |
めぐみ福音キリスト教会の主任牧師を務める傍ら、麻布セント・メアリー教会での伝道を始める。 |
| 1999年1月 (57歳) |
めぐみ福音キリスト教会の新会堂の建設に着手。 |
| 2003年9月 (61歳) |
この年より2008年まで友人の牧師二人とともに東欧諸国への聖書贈呈宣教活動を始める。ウクライナ(2003年9月)、チェコ(2004年9月)、ベラルーシ(2005年10月)、ハンガリー(2006年10月)、ブルガリア(2007年10月)、クロアチア(2008年10月)に地元の聖書協会を通じて聖書を配布。 |
| 2005年4月 (64歳) |
スマトラ沖地震津波被害孤児救済活動として、池袋の東京芸術劇場でチャリティコンサートを開催。収益金約350万円をスリランカの災害孤児院に送る。 |
| 2007年5月 (66歳) |
六本木交差点福音教会を創立、あらたな開拓伝道を始める。 |
| 2010年12月 (69歳) |
クリスマスのイベントを機に麻布セント・メアリー教会に復帰。 |
| 2011年10月 (70歳) |
麻布セント・メアリー教会で週1回の聖書の学びを始める。 |
| 2012年3月 | 麻布セント・メアリー教会で東日本大震災の復興祈念チャリティイベントを開催。 |
| 2013年1月 |
前年の12月に麻布セント・メアリー教会と六本木交差点福音教会の信徒等が合流することを決定。 合同の礼拝が麻布で始まる。 |
| 2014年6月 | 6月8日の聖霊降臨祭より教会名を麻布グレイスゴスペル教会に統一。 |
| 現在、宗教法人恵み福音宣教団代表役員、麻布グレイスゴスペル教会主任牧師。婦人伝道師の妻との間に与えられた二男二女も東京はじめ各地で牧会伝道に携わる文字通り伝道者一家。 | |